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2005年09月02日

運命を分けたザイル

「運命を分けたザイル」。実話映画というか、トゥルーストーリー物だと思ってDVD借りてきたんですが、ドキュメンタリーだそうで、本人のインタビューと再現映像で作っていました。運命のザイルを切った方の人と切られた方の人が出てくるんですが、別々のインタビューで、一度も同じ画面には出てこないので、なんか心配です…とか言うと、いらんことを言うヤツだ、とか誰かに怒られるかも。むにゃむにゃ。
インタビューと再現映像というスタイルだと、テレビでよく見る「ほんとうにあったなんとかの話」みたいな作り方ですが、これはこれでシンプルで新鮮です。生還できた理由なんかもいたってシンプルに、「ぜってぇ、あきらめねぇ!」ということに尽きるので、ザイルを切られた方の人の不屈の精神力には頭が下がりますが、こういうの日本人はどうですかね。ザイルを切られた人はクレバスに落下してしまうんですが、南米ペルーの前人未踏の冬山の誰も知らないクレバスの中で、足が折れてしまってたった一人。このシチュエーションは十分完璧に孤独なので、ワタシなんか「そこで死ぬのも魅力的なんじゃないの」などと思ってしまいましたが、そこが日本人の死生観というか、西洋人はやはりちがいます。クレバスの入り口に向かって、折れた足でジリジリと登りはじめます。ワタシだと「ここにいて誰か呼びに来たら大声出してみよう」とか思うぐらいで、そのうち「もう眠いから」と言って寝てしまう自信はあります。いや、自信ていうか。
第一、ワタシは登山というのがわからない。ましてや冬山に行く人の気持ちなんかはとても理解できません。死ぬ思いしてまで登っても、今度は降りてこなければいけないじゃないですか。遭難の多くは下山の途中で起きるそうで、この映画でも登頂には成功するんですが、今度は降りなければならないので、そんなにうれしそうじゃない。やっぱり登ったら、あとはヘリコプターとかが迎えにきてくれないと。シャンパンかなんか持って来てくれて。
なんかこれって料理するのは好きだけど、後片づけはしないヤツのパターンですね。結局、ワタシは山に登る資格なんかないんでしょう。では山に登る資格があるのはどういう人かというと、料理のあとにちゃんと後片づけする人とかじゃなくて、ロメロの「ランド・オブ・ザ・デッド」が、傑作か駄作かなんて気にしないで、観に行きたければさっさと観に行く人なんでしょう。ワタシはまだ観に行ってないんですが…。

投稿者 いがらしみきお

2005年08月16日

Nuages 雲 息子への手紙

「Nuages雲」です。風景マニアであるワタシとしては、観たい気持ちはヤマヤマだったんですが、副題の「息子への手紙」の方が気になって、今ひとつ踏ん切りがつきませんでした。しかし、もし自伝とか書くことになったら、そのタイトルを「いつも空ばかり見ていた」にしようと思っているぐらいの、空好きのワタシとしては、これはやはり見なければいかん、たとい母性愛テロ爆弾の巻き添えになろうとも。
というわけでDVD借りて来ました。雲の映像はまさに圧倒されるばかりです。動いている雲を見ていると、我々が見ているのは雲じゃなくて気流なんだ、ということがよくわかります。しかし、あー、ハイビジョンだったらなぁ。
ハイビジョンは不思議です。肉眼で見るのに近い解像度で、肉眼では絶対に見えない映像が生まれます。肉眼では捉えない光を、ハイビジョンでは捉えるというか、補正増幅して捉えてしまいます。肉眼が大気の色を見分けるというと、一般的には夕焼けなどの時に限られますが、ハイビジョンは午前と午後の大気の色の違いも、朝焼けと夕焼けの違いさえも、見せてしまうところがあります。これは風景だけじゃなくて、人の顔も不思議な顔にしてしまう。肉眼で捉えないホクロやシワをいちいち拾ってしまうので、みんながみんな、スーパーリアリズムの空山基が描くところのセクシーイラストのように見えてくるって言うか、見えないこともないって言うか、って感じです。
ま、デジタル補聴器なんかもそうなんですね。ワタシは難聴なんで補聴器の世話になっているんですが、デジタルの補聴器にしてから、川のせせらぎの音が聞こえるようになった代わりに、襟が首にこすれる衣擦れがこの世の物とは思えない音として聞こえてきます。補聴器だとそういう誤解を楽しむなんて芸当はできないんですが、ハイビジョンだと、なんか楽しいもんです。
えー、問題の「息子への手紙」のナレーション部分は、そんなに頻繁に入ってくるものじゃなくて、「やっぱり雲の映像だけじゃさびしいんじゃない?」という興行的見地から入れたとおぼしき程度のものでした。

投稿者 いがらしみきお

2005年07月28日

オランダの光

絵の世界では「オランダの光」と言われてる光の描き方があるそうで、フェルメールとかレンブラントの絵なんかに、それが出ているらしいんですが、ワタシにはよくわかりません。プロの画家ならば「オランダの光で描いてや」とか言われたら、「あぁ、ええで」とか言って、描いてしまえるものではないかと思うんですが。
その「オランダの光」は、オランダにはもうないのか、世界のどこかにあるのか。また、「オランダの光」とは、どういう光の状態なのかを探るドキュメンタリーです。
スタッフは「オランダの光」を求めて、世界のいろんなところに行きます。だからいろんな風景が映るんですが、これが魅力的です。あぁ、ハイビジョンだったらなぁ。
中でも魅了されたのは、地元オランダの堤防での定点観測です。カメラをそこに据え置いて、1年の光の変化と雲の変化を見せてくれますが、ワタシには「ほれ、オランダの光がそこにバッチリ映ってるじゃないの」と思えてしょうがなかったんですが。
余談ですが、ワタシも以前、「ワタシの夕焼け365日」という作品を作ろうと思ったことがあります。自宅の窓にカメラを据え置いて、夕焼けが出ても出なくても、365日とにかく日没の西の空を撮ろう、そしてそれをCDに焼いて、ソフトウェアとして、通販で売ろうと思ったことがあったんです。しかし、その前に「ワタシの昼飯365日」の方が魅力的に思えて、結局、どっちもやりませんでしたが。
この「オランダの光」の見所は、やはり「オランダの光」を求めて撮ったいろいろな風景でしょう。ワタシは風景好きなので、乗り物に乗った時、居眠りしたりするのがもったいない。栃木県の国道沿いファミレス風景だろうが、茨城県のラブホテル街道だろうが、いつでも楽しく見れます。
ある本好きの人が、「本だったらなんだっておもしろいじゃないか、こんな最高なものないよ」というようなことを言ってましたが、それで行くと、ワタシなんかは「どんな風景だっておもしろいじゃないか、こんな最高なものないよ」と思うのでした。

投稿者 いがらしみきお

2005年07月27日

らくだの涙

「らくだの涙」、DVDです。
この映画は、子育てをしなくなった母ラクダに馬頭琴の演奏を聞かせると、母ラクダは涙を流し子育てをするようになる、というモンゴルの伝説の音楽療法を描いたドキュメンタリーです。という説明を、映画会社の朝の企画会議の席上で述べたなら、たとえプロデューサーがジェリー・ブラッカイマーでも、ドン・シンプソンでも、即座にGOサイン出してくれるでしょうね。これはそれぐらい強力なツカミです。
問題はほんとうにラクダが涙を流すかどうかですが、ちゃんと涙を流して、子育てをやりはじめます。この映画のためにラクダが何頭も死んだとか、マイケル・ムーアみたいにカットのつなぎでウソこいたりするドキュメンタリーじゃぁありません、たぶん。
どうですか、みなさんも観たくなったでしょう。だからワタシも観ました。モンゴルの草原と山々が映るたびに、あぁ、ハイビジョンだったらなぁ、とか思いながら観てたんですが、結構淡々と撮っていて好感が持てます。
まぁ、子育てしなくなったラクダの母子と、そのラクダを飼っている家族の若い母親と子供の関係を対比させたりという演出ぐらいはするんですが、あと、テレビを欲しがる子供なんかも出して、ヒタヒタと押し寄せる消費社会の影なんかも入れたりもします。しかし、涙を流した母ラクダが、子ラクダのそばに行くのを見届けた馬頭琴奏者のおじさんが「やれやれ、一服するか」とか言いながら、タバコをプカリとする素朴さは、実にクールでした。この映画の中では、母ラクダ以外、誰も泣いたりしません。そんなの見て泣いてるのは、映画観たりする人だけなのかも。
テレビを欲しがる子供におじいさんが言います。「そんなもの買ったら、箱の中の絵ばっかり観て暮らすことになるんだぞ」。おじいさん、すみません。ワタシがそうです。白い布きれに映る絵ばっかり観て生きてしまいましたぁ。うぅ…。

投稿者 いがらしみきお