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2005年08月16日

Nuages 雲 息子への手紙

「Nuages雲」です。風景マニアであるワタシとしては、観たい気持ちはヤマヤマだったんですが、副題の「息子への手紙」の方が気になって、今ひとつ踏ん切りがつきませんでした。しかし、もし自伝とか書くことになったら、そのタイトルを「いつも空ばかり見ていた」にしようと思っているぐらいの、空好きのワタシとしては、これはやはり見なければいかん、たとい母性愛テロ爆弾の巻き添えになろうとも。
というわけでDVD借りて来ました。雲の映像はまさに圧倒されるばかりです。動いている雲を見ていると、我々が見ているのは雲じゃなくて気流なんだ、ということがよくわかります。しかし、あー、ハイビジョンだったらなぁ。
ハイビジョンは不思議です。肉眼で見るのに近い解像度で、肉眼では絶対に見えない映像が生まれます。肉眼では捉えない光を、ハイビジョンでは捉えるというか、補正増幅して捉えてしまいます。肉眼が大気の色を見分けるというと、一般的には夕焼けなどの時に限られますが、ハイビジョンは午前と午後の大気の色の違いも、朝焼けと夕焼けの違いさえも、見せてしまうところがあります。これは風景だけじゃなくて、人の顔も不思議な顔にしてしまう。肉眼で捉えないホクロやシワをいちいち拾ってしまうので、みんながみんな、スーパーリアリズムの空山基が描くところのセクシーイラストのように見えてくるって言うか、見えないこともないって言うか、って感じです。
ま、デジタル補聴器なんかもそうなんですね。ワタシは難聴なんで補聴器の世話になっているんですが、デジタルの補聴器にしてから、川のせせらぎの音が聞こえるようになった代わりに、襟が首にこすれる衣擦れがこの世の物とは思えない音として聞こえてきます。補聴器だとそういう誤解を楽しむなんて芸当はできないんですが、ハイビジョンだと、なんか楽しいもんです。
えー、問題の「息子への手紙」のナレーション部分は、そんなに頻繁に入ってくるものじゃなくて、「やっぱり雲の映像だけじゃさびしいんじゃない?」という興行的見地から入れたとおぼしき程度のものでした。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ドキュメンタリー