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2005年09月30日

サマリア

「サマリア」、キム・ギドク監督です。ベルリン映画祭銀熊賞を獲ったそうです。以前、ギドク監督は必ず売春シーンを出すとか、女の人は必ず売春すると思ってる、とか独断偏見流言飛語を書きましたが、今度は当然というか、やっぱりというか、エンコーです。「親切なクムジャさん」のパク・チャヌク監督が復讐三部作なら、キム・ギドクは売春三部作、というよりも売春がこの人の永遠のテーマになってるのかなぁ。うーん、すげい。
しかし、この「映画ゾンビ」で、キム・ギドクの作品をやるのは2回目です。スピルバーグだって、イーストウッドだって、1回しかやってません。やっぱワタシってギドクさんを好きなのかなぁ。第一全部観てるし、これって言い逃れ出来ませんよね。いや、言い逃れしようとは思ってないけど。
それにしても映画というものの基本は見せ物というか、スキャンダラスだと思うので、そういう意味では、前に言った西のギャスパー・ノエ、東のキム・ギドクという、世界スキャンダラス映画番付東西両横綱は動かせないと思います。昔は西のヤコペッティ、東の石井輝男だったんですが。あははは。石井輝男も死んじゃいましたね。合掌。DVDボックス欲しいです。
で、「サマリア」ですが、とにかく女の子二人がいい。なんでもアラーキーで写真集出すそうですが、うーん、それも欲しいです。
内容については、キーワードだけ出すので、それでわかったつもりになってください。キーワードは7つです。女の子ふたり、売春、マザー・テレサ、男はみんなバカばっかり、父と娘、贖罪、クルマの運転覚えろよ、という感じで。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ドラマ

2005年09月26日

マシニスト

これも映画館で見ようと思いながらも、結局間に合わなかった「マシニスト」です。クリスチャン・ベールが役作りのために何キロ痩せたとかばかり話題になってますが、それもブラッド・アンダーソンの映画はだいたいにおいて地味だからでしょう。前作「セッション9」もホラーとして地味に怖い映画でした。ケレンも効果音もタップリのジャパニーズ・ホラーとはちがって、耳元で「隣の部屋に誰かいるよ、隣の部屋に誰かいるよ」と、ささやくみたいな脅し方をしてきます。「セッション9」は解体工の話で、今度の「マシニスト」は機械工が主人公、やっぱり地味ですね、ブラッド・アンダーソン。次の新作の主人公は配管工かも。あははは。
街を歩いていると、どう見ても日本人には見えない人たちが増えてるからかもしれませんが、最近は地味なものに惹かれます。ワタシは毎朝散歩するんですが、道でよくすれ違うおばさんがいます。ズングリして、頭はパンチパーマで、見るからに日本の正しいおばさんです。いつも割烹着着て歩いています。知らないおばさんなんですが、このおばさん、見るからに「デキるおばさん」です。炊事にしても洗濯にしても掃除にしても、たぶん名人の域に達してる人でしょう。家に行くと寝たきりの亭主がいるかも。ブラッド・アンダーソン、このおばさんのようなイメージがあります。まじめで地味ですが、なんでも撮れる人のはず。ホラーにこだわらないで、いつかメジャーなものを撮って、世間を驚かせて欲しいもんです。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: サスペンス

2005年09月23日

ワンナイト・イン・モンコック

これも映画館で観ようと思ってたんですが、結局見逃してしまった「ワンナイト・イン・モンコック」。香港のモンコックというところは世界一の人口密度なんだそうで、そこで起きたある事件を巡って、警察、ヤクザ、殺し屋、娼婦、老若男女、貧乏金持ち、地方中央が入り乱れる一夜の群像劇です。その直前に観たのが「チャーリーとチョコレート工場」だったので、原宿でスイーツ食ったあとに、池袋で中華たらふく食ってるみたいで順序が逆だというか、腹こわすだろというか、ともかく「チャリチョコ」との落差が気持ちいいぐらいでした。とは言っても、また「チャリチョコ」の悪口言うつもりじゃなくて、なんかこの前は悪く言い過ぎたというか、ティムごめんな、というか、ひとりで観てしまって家族にこっぴどく怒られた腹いせもあったかもしれないし・・・、「チャリチョコ」そんなに悪くなかったです、はい。
で、「ワンナイト−」、ヒロインがワタシの行きつけの歯医者の助手のおねえさんに似ててよかったです。「人口密度世界一」っていうのもいいですね。地方の若い人が、なぜ都会に憧れるかというと、結局、人口密度だと思います。それは、どこに行っても喫茶店があるということだし、どこに行ってもアパートがあるっていうことだし、どこに行っても灯りがあるということだし、どこに行っても誰かいるということです。
ワタシも東京が好きです。夜、ホテルの窓から東京を見ていて、そこのどこかをクリックすると、とあるビルになって、そのビルをクリックすると、どこかの部屋になって、その部屋をクリックすると誰かの机になって、その机をクリックすると、引き出しの中の写真が出てきて、その写真をクリックすると、その写真に映ってる誰かが見えてきてみたいなイメージがあります。これではまるでパソコンの画面のようですが、どこをクリックしてもイベントが発生するみたいなところが東京にはある。それで言うと「ワンナイト−」、どこかヤバイところをクリックしてしまった人たちのお話ですね。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: アクション

2005年09月20日

チャーリーとチョコレート工場

「チャリチョコ」です。家族といっしょに観に行く約束が、先にひとりで観てしまったのですごく怒られました。うぐぐぐ。ほんとは「銀河ヒッチハイクガイド」を観たかったんですが、仙台ではやらないようなので今週は他に観たいものがない。地方のシネコンじゃ今や「銀河ヒッチ−」なんかどこもやりませんしね。だいたいにおいてSFとかホラーなんてものにはおばさんは来ない。おばさんが来ないものはやらない、というのが最近の日本のショー・ビズの現状です。
昔の経済原則はなにをさておいても「若い人」でした。若い人が来ないものには誰も来ないし、若い人が飛びつかないものはブームにもならないものと決まってましたが、今やほとんどのイニシャチブはおばさんが握ってるような気がします。では若い人はどうしてるかというと、ジリジリとオタク化してしまっている。昨日なんか、ウチの嫁さんも娘も、なんのためらいもなく自分を「オタクだよ」と言ってしまうので、ちょっとびっくりしました。「オタク」っていつのまにか悪口じゃなくなってます。
ティム・バートン監督と言えば、オタク文化のアイドルみたいな人ですが、「オタク」が悪口じゃなくなるのと同じようにが、この人の作品もどんどん普遍化してきてます。ただ、それは評論家の言うところの「ティム・バートン特有の毒がなくなった」とかいうことが理由じゃないでしょう。毒なんて抜くのも入れるのもそんなに難しいことじゃないんで。たぶんティム・バートンはやっぱりオタクだからでしょう。オタクの経験値って有限なんですよ。
「チャリチョコ」もテーマパーク巡りみたいな映画ですが、スモールワールドですね、これ。たぶんティム・バートンはスモールワールドが一番好きなんでしょう。でも、スモールワールドが一番好きっていうオヤジに言うべきことはなにもないじゃないですか。「ああ、そうですか。いいですよね、スモールワールドも」としか言えない。そんな映画です。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ファンタジー

2005年09月17日

コーヒー&シガレッツ

ジャームッシュです。ジャームッシュが好きか嫌いかと言われれば、好きなものと嫌いなものとにはっきり別れてしまうんですが。あと「ジャームッシュが好き」とか言うと、いい年したオヤジがなんだかナメられそうな気がして。あははは。
で、「コーヒー&シガレッツ」、その前に観た「10ミニッツ・オールダー」の中の1本、「女優のブレイクタイム」というのが、とてもよかったので、映画館で観ようと思ってたんですが、間に合いませんでした。それでDVDで観たわけですが、とにかくコーヒーとタバコを前にしてダベってるだけというか、グダグダというか、役者が自分自身を演じたりしてるだけなので、出てくる役者はみんな楽しそうです。漫画家だと「なに描いてもいいですから2ページで」という注文を受けた時みたいな感じでしょうか。
ジャームッシュ、今回も、ニュース番組でコマーシャルなのになかなかカメラが切り替わらないみたいな撮り方は健在です。小津の影響なのかどうか知りませんが、この人この撮り方が止められないんでしょうね。もしワタシがやったとしても、おもしろくて止められなくなると思います。この「字余り」の撮り方、それだけ危険です。それを更にドップリとやってるのが、ロイ・アンダーソン監督の「散歩する惑星」です。「字余り」が更に長くなってる上に、すべてワンシーン・ワンカットなので、出てくる役者さん、どの辺まで演技をつづければいいのか、どこで素に戻ればいいのかわからなくて、みんなウロたえてるように見えます。すごくかわいい映画です。
というわけで「コーヒー&シガレッツ」、好きな方のジャームッシュ作品になりました。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: コメディー

2005年09月15日

南極日誌

漢字変換したら、いきなり「難局日誌」と出てきました。ま、そのとおりの映画なんですが、「南極」と聞くと、どうしても「南極物語」とか、アドベンチャー物をイメージしてしまいます。実はワタシも予告篇観るまではそう思ってたんですが、これはどうもホラーに近いもののようで、監督は知らない人ですが、共同脚本に「ほえる犬はかまない」と「殺人の追憶」の監督であるポン・ジュノの名前がある。主演はソン・ガンホで、「オールドボーイ」に出ていた若い頃の沢口靖子ことカン・ヘジョンちゃんも出ています。なので、これは観に行かないと、と思って行ってきました、大雨の中。
うーん。最近よくある、過去のトラウマによって、徐々に狂ってしまう主人公という設定が出て来たので、南極のように冷房がきいた中、「眠っちゃいかん、眠ったら死ぬぞ」と思いながらも、途中船を漕いでしまいました。せっかく南極が舞台なのに、そんなネタいかにももったいない。わざわざ中華街まで行って、変な刺身定食とか食ってるというか、サッカー観に行ったのに、ゲームボーイしてるっていうか、いや、そこまでひどくはないんですが、そんなもの出さなくても、南極には人が狂ってしまう条件がいっぱいあると思います。とは言え、他の狂ってしまう要因もいろいろと出ては来ます。遭難した探検隊が残した「日誌」とか、寒いとか、狭いとか、痛いとか、うるさいとか、危ないとか、遠いとか。えーと、そこまで出してくれば、おもしろくなるはずなのに、思ったよりおもしろくならないのはなぜでしょう。
ワタシも最近の「シネマ・ナビゲイター」たらいう若いライターの人のように「こうすればいいのに」なんて失礼なことは言いたくないんですが、たぶん敗因はホラー風味にふりすぎたことじゃないでしょうか。すいません。失礼なこと言って。
最後に南極の到達不能地点にたどり着くんですが、時やすでに遅し、昼だけの6ヶ月が終わり、夜だけの6ヶ月に突入してしまいます。ワタシはこれがこわかったです。氷の上の真っ暗なところにおいて行かれて、しかもその夜は6ヶ月つづくんですよ。うわー!やだやだやだぁ!!ひいぃ!ここは冷房強すぎるぅー!!

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: サスペンス

2005年09月10日

アビエーター

「アビエーター」っす。スコセッシっす。DVDで観る作品じゃないかもしれませんが、どうしても劇場まで行く気になれませんでした。前作「ギャング・オブ・ニューヨーク」は、長尺3時間弱の大作の上に、あまりのベタな展開に爆睡後途中退場してしまいましたが、今回またしても3時間弱。しかも主演は同じデ・カプリオ。どうしたって用心します。
結局、寝るんだろうなぁ、と思いながら観てたら、やっぱり寝てしまいました。なので中盤どういう展開があったのか、よくわからないんですが、思ったよりよかったような気がします。全部観てないので「気がする」だけですが。
ハワード・ヒューズの伝記映画ということで、日本で言うとHONDAの創始者の本田宗一郎の伝記映画のようなもんでしょうか。そう考えるとワタシなんか絶対観に行かない映画ですね、これ。まぁ、本田宗一郎は映画も撮らなかったし、航空会社も買収しなかったし、飛行機で世界一の記録も作らなかったし、女優と結婚もしなかったし、潔癖性の病気もなかったし、なにより自分の力でお金持ちになったわけですが。
観てて思ったのは、このハワード・ヒューズ、大金持ちの家に生まれなかったら、どうなってたのかということです。マイコン好きが高じて、BASICを開発して、行く末はマイクロソフトとかいう会社を作ったりしたでしょうか。ワタシの子供の頃、近所の呉服屋のせがれが「ウチは平家の末裔なんだぞ」とか言って、みんなに殴られたりしてましたが、そいつとどっこいどっこいの人生を歩んでたかも。
ハワード・ヒューズ、最後は20年間、世間から姿を消してしまい、死んだ時は誰もそれがハワード・ヒューズだとはわからなかったとか。それが大金持ちの家に生まれなかった方のハワード・ヒューズの姿だったかもしれませんが、この「アビエーター」、その手前で終わってしまいます。ワタシとしては、その後の20年間を描いた「アビエーター2」の方をこそ観たいもんですが。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ドラマ

2005年09月05日

ランド・オブ・ザ・デッド

とにかくこの辺の土曜日はただでさえ混雑するのに、仕事場の近くの公園で夏祭りまであるというし、土曜日だと隣の部屋のバレエ教室の子供らが怒濤のダンスをはじめて、体感震度3ぐらいの揺れの中でがまんして仕事しなければならない上に、すぐそばの仙台スタジアムではベガルタ仙台の試合まであるものと思っていたので、もう休みました。休んで「ランド・オブ・ザ・デッド」観に行きました。なんかヤケクソ感が漂ってますけど。
結局というか、やっぱりというか、ロメロはロメロです。いいところはロメロだからだし、悪いところもやっぱりロメロだからです。ロメロはロメロ、20年たってもロメロです。なんかロメロメ言ってますが、特に感傷に浸ってるわけじゃなくて、無常観に溺れてるわけでもなくて、強いていえばWけんじの漫才をまた観れたというか、その程度の満足感はあります。でも、今の若い人がWけんじどう思うかなぁ。
ウチの嫁さんと娘は「NANA」とか読むそばから、「ガラスの仮面」とか喜んで読んでるんですが、こういう一見「今も昔もないよ」というパラレルな傾向というのは、実はやっぱり昔のものは昔のものとして見ているわけで、昔のものを今「新作」として出すのとはわけが違います。そういう意味ではロメロはもうゾンビ物の新作を撮らなくてもいいんじゃないでしょうか。
最近、娘に言われました。「パパはなに観てもおもしろくないって言うよ」と。ま、そのとおりなんで、「うん。だからパパは映画観る資格ないんだよ」と言いました。「じゃぁなんで観るの」と娘。「そりゃぁもしかしたらおもしろいかもしれないからだよ」とワタシ。ロメロがまた10年ぐらいしてから「アフタヌーン・オブ・ザ・デッド」とか「モーニング・オブ・ザ・デッド」とか撮っても、たぶんワタシまた観に行くんでしょう。そしてまた「あんまりおもしろくなかった」とか言うんでしょう。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ホラー

2005年09月02日

運命を分けたザイル

「運命を分けたザイル」。実話映画というか、トゥルーストーリー物だと思ってDVD借りてきたんですが、ドキュメンタリーだそうで、本人のインタビューと再現映像で作っていました。運命のザイルを切った方の人と切られた方の人が出てくるんですが、別々のインタビューで、一度も同じ画面には出てこないので、なんか心配です…とか言うと、いらんことを言うヤツだ、とか誰かに怒られるかも。むにゃむにゃ。
インタビューと再現映像というスタイルだと、テレビでよく見る「ほんとうにあったなんとかの話」みたいな作り方ですが、これはこれでシンプルで新鮮です。生還できた理由なんかもいたってシンプルに、「ぜってぇ、あきらめねぇ!」ということに尽きるので、ザイルを切られた方の人の不屈の精神力には頭が下がりますが、こういうの日本人はどうですかね。ザイルを切られた人はクレバスに落下してしまうんですが、南米ペルーの前人未踏の冬山の誰も知らないクレバスの中で、足が折れてしまってたった一人。このシチュエーションは十分完璧に孤独なので、ワタシなんか「そこで死ぬのも魅力的なんじゃないの」などと思ってしまいましたが、そこが日本人の死生観というか、西洋人はやはりちがいます。クレバスの入り口に向かって、折れた足でジリジリと登りはじめます。ワタシだと「ここにいて誰か呼びに来たら大声出してみよう」とか思うぐらいで、そのうち「もう眠いから」と言って寝てしまう自信はあります。いや、自信ていうか。
第一、ワタシは登山というのがわからない。ましてや冬山に行く人の気持ちなんかはとても理解できません。死ぬ思いしてまで登っても、今度は降りてこなければいけないじゃないですか。遭難の多くは下山の途中で起きるそうで、この映画でも登頂には成功するんですが、今度は降りなければならないので、そんなにうれしそうじゃない。やっぱり登ったら、あとはヘリコプターとかが迎えにきてくれないと。シャンパンかなんか持って来てくれて。
なんかこれって料理するのは好きだけど、後片づけはしないヤツのパターンですね。結局、ワタシは山に登る資格なんかないんでしょう。では山に登る資格があるのはどういう人かというと、料理のあとにちゃんと後片づけする人とかじゃなくて、ロメロの「ランド・オブ・ザ・デッド」が、傑作か駄作かなんて気にしないで、観に行きたければさっさと観に行く人なんでしょう。ワタシはまだ観に行ってないんですが…。

投稿者: いがらしみきお | カテゴリー: ドキュメンタリー